実は関越自動車道事故の当該旅行会社は、その1年前に高速ツアーバス連絡協議会に入会したばかりだった。相当な事業規模に成長していたにも関わらず、それまでは入会を拒否し一匹狼を貫いていた。
だが、バス事業のあり方検討会の議論も進み新制度が視野に入る中で、停留所確保を含むさまざまな調整が発生することを経営者に説き、入会を促したのだ。
わざわざ入会させなかったらよかった、と愚痴も言いたかったが、高速ツアーバス業態で多くの死傷者を出す事故が起こったことは確かであり、協議会としては重く受け止めた。
国土交通省自動車局に指導いただきながら、まずは次の多客期である2012年夏までに実施可能な緊急対策を策定した。また、「おおむね2年後」とされていた高速ツアーバスから高速乗合バスへの移行期限は、1年後の13年7月末に繰り上がった。
その過程では、メディアの力を改めて認識した。新聞や報道番組のような速報性が求められる媒体は、どうしても断片的な情報から原稿が作られていく。ひとたび紙面やテレビ画面で伝えられると、それが前提となって新しい報道を呼ぶ。
問題は、その報道が導火線となって政治の世界に火が付くと、現実の政策に即座に反映することだ。メディアの性格上、難しい現実をぎゅっと凝縮し単純化して伝えざるを得ないことは理解しているが、その単純化された構図を元に政治が動くことには、少しばかり恐怖を覚えた。
さて、高速ツアーバス各社は停留所を巡る当局同士の調整などに最後までてこずりつつも、13年7月末に無事に高速乗合バスに移行することができた。
停留所の制約などから、一部には事業規模を縮小せざるを得なかった会社もあるが、希望した全社が移行を完了した。事業の自由度は多少小さくなったが、逆に「既得権組の末席」に並べたとも言え、経営は安定度を増しただろう。また、乗り合いになることで、必要な安全性のレベルは変わらないものの、国のチェックは厳格で、かつてのような意識の低い者は今ではいないはずだ。
高速ツアーバス連絡協議会は、13年8月末に総会を開き、解散を決議した。
(高速バスマーケティング研究所代表)